なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

ゲームで人的資源を学ぶとこうなる。

大戦略というゲームがある。そこではまあ簡単に言うと戦争をする。兵士は街を占拠し、戦車は敵部隊を叩き、砲兵は戦車や各施設を破壊し、戦闘機は敵機の尻を追いかけ都市に爆撃を行い敵の兵站を狂わせ、海軍は敵の港を封鎖するべく、島を占拠するべく、それを守ろうとする敵艦隊を攻撃する。そういうゲームだ。例外もあるが、充足値(隊構成員数などをゲーム上に表す値)が、10が限界の部隊をユニットという単位でそれらを動かし、マップ上の敵拠点の占拠を目標とするストラテジーゲームだ。アドバンスド大戦略98というゲームではシナリオを進めていくとノルマンディー上陸作戦がある。ネットで調べると出てくるが、連合軍側は欺瞞作戦を用いてノルマンディー川のドイツ軍の防備を薄くした上で上陸した。ただ、プレイヤーが操作する軍はドイツ軍で、この連合軍の攻勢をいかに凌ぐかというのがゲームの目標となる。このシナリオは、始めから数えて約10何番目くらいに位置している。このゲームではユニットは金で買えるし、人的資源を表す数値もないので、「使い捨て」のような事もできる。でもユニットは戦っていくと経験値を貯めて、より優秀な数値を持ったり、新たな装備を備えたユニットにも移行できたりする。「育てた」ユニットは次のシナリオに持ち越せる。最初は単なる擲弾兵だったのが数シナリオを経てバイクを駆る自動車化歩兵や戦闘車に乗った機械化歩兵になっていく。ドイツ軍はノルマンディー以前から負ける戦いはあったが、勝つ戦いばかりで、例え作戦期日というタイムリミットを過ぎてシナリオが中途半端に終わろうが、次のシナリオにはいい感じの初期状態で進めることができることが多かった。ところがノルマンディー以後の戦いは歴史でも負け戦ばかり、シナリオ開始時の初期状態から不利な状況、その中でいくら上手く戦っても、目標達成を短期間に納めても、結局はシナリオは史実通りに動いていくのだ。そして最後は「ベルリン決戦」というシナリオでマップ東西から重戦、重爆、機械化歩兵などが押し寄せてくる中で、要所要所に配置した、幾つものシナリオ内で持ち越してきた熟練のユニットが削られていくのを見ながら、目標である「〇〇日までの自拠点死守」か、ほぼ無理な「敵拠点の占拠」を達成するまで、プレイヤーはそれら自ユニットが削られまくる状況で敵を一つ一つ「処理」し要所を奪取されないよう作業に没頭する。(なんか救いがないように書いてしまったけど、いくつかシナリオ分岐はあるのでこれがただひとつの例という訳じゃない。)

やっていると使っているユニットに愛着を持ってきたりして、こいつだけはと大事に育ててきたユニット群がレニングラードノルマンディー、バルジ作戦、ベルリンなどのシナリオで「どうしてもこう使わなきゃ(ここを落とされると取り返しがつかなくなって)ヤバイ」ケースに当たった時、手放さざるを得ないことがけっこうあった。まあ、プレイの腕が下手だとも言えるかもしれない。

あと、これもゲームからだけどVictoriaというストラテジーゲームがある。国を運営して、税率を決めたり、戦争したりするゲームだ。戦争するために徴兵するとき、兵士はプロビンスという区画ごとに集めることになる。〇〇国の□□州の兵士、☓☓州の兵士という感じに。それはそのプロビンスに属する人口から兵士として抜き出されたもので、そいつらは徴兵する前は町人だったり職人だったり農家だったり聖職者だったり貴族だったりする。彼らの数が減ると国の経済に支障がでる。また職にあぶれた者が兵士となって数を増やす。で、兵士として戦争に駆り出されるけど、彼らにも〇〇国という故郷があるのであんまりにも遠いところに戦争に行ったり、戦争が長引くと士気は下がるし逃亡者も出るし部隊の能力もだだ下がるしでとても効率的じゃない。だから無闇矢鱈に戦争しかけてもいいってものじゃない。チートを使えばどうにかなることでもあるけど。

 

タイトルを読んだだけだと、人的資源、それもゲームでの話だと単なる部隊を作成する際に減少し、0になったら作成できない数値という感じのものだと思われるかもしれない。確かに人的資源という言葉をそういう意味で使うゲームもある、ハーツ・オブ・アイアンとか。

でもまあ、とりあえず、ゲームの数字上に現せられる人的資源を「数字だけじゃない」観点から述べるとこのようになる。なった。

 

以下、以上にはあんまり関係ない日記

次の映画会の題材は「プライベート・ライアン」だ。友達の日記を見ると感想が書かれていた。戦争映画を映画会に推したのは私だ。「見どころは最初の30分」というのは俺が口からぽろっとこぼしたことだったかもしれないし、それをどこかの本で書いていたことを読んでネタで言った気もする。どちらでも大した違いはないが、友達の感想を読むと俺の感覚に多少麻痺というか血に慣れたというかそういう惰性があったことがわかった。これを認識できたのが大きい。

確かに最近は戦争映画ばかり見ている。特に意図はなく、歴史が好きだからこういうことがあったのかへー、えこの兵器何?という感じで自分の好奇心の枝を、映画見ながら野放図に伸ばしている具合なのが正直なところだ。だから血の描写とか見ても、刺激をいちいち真に受けても疲れるだけと多少感じたり、考えたりしていることも否めない。慣れと無意識は、こわい。

だからその横っ面を叩いてくれる文章を書いてくれるのはありがたい。

そんなG氏は映画見ていて精神が揺らいでいるようだ。前の読書会で言ったように矛盾でもオッケーと思っている人間なので、問題に無理にオチを着ける必要もないし、落とし所も各人の胸の中でいいじゃないとも思う。まあ、映画会やるくらいなので、その中では無理にでもオチは必要かも知れないけども。なんか前にいろいろルールとか決めた気もするしね。

 

とりあえずメモ的な意味で自分の中で話したいけど忘れそうなことを羅列しておく

パンジャンドラム

水際防衛と縦深防衛

第352歩兵師団

神に祈りながら死んだ兵士と神に祈りながら敵を撃った兵士

ティーガーがちゃんとティーガーぽかった

無抵抗を意味する両手上げと撃たれた捕虜

市街戦と歩兵

弾持ってこいアパム!

撃たなかった時のアパムと撃った時のアパム