なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

ライフイズビューティフルの感想兼レビュー

前回の投稿により、やはり備忘録的ななんか感想とかレビュー的なの書いちゃおうということで、エバーノートに書いた。途中4時間ほど意識飛んで寝ていたけど、書けたのでこれから軽い食事をとろうと思う。豆腐とか。ひもじい。

なので以下の文章はネタバレを多分に含んでいるので、ライフイズビューティフルをこれから見ようって人は読むの控えて、TSUTAYAかゲオにダッシュしたほうがいいです。オナシャス。

 

 

言葉の魔法と、ライフイズビューティフル

 

さて、どこから切り出そうか。いつもは本文のほうから書いてタイトルを適当に埋めて投稿するのだけれど、今回はそうじゃない。タイトルから生まれた。

 
たばこを吸いながら、ぼーっとしてたらこいつは生まれてしまった。でも生まれた以上は何かに育てなくては。と考えると、ちょうど都合よく電脳世界にこんなかんじに自分の妄言を吐きまくる場所、格好の餌やり場があったからここで進めていくことにしよう。お前の名前はピー子ちゃんだ。
 
グイド語録
と銘打ってみたけれど、そこまで覚えているようで覚えていない。
言葉の持つ空虚性ゆえか、それとも俺の頭がノータリンか、どちらでもいいけどここはひとつ、「空虚性」を使ってみようじゃあないか。ポー子のためだ、俺も一皮脱ぐ。
彼は息を吐くように喋りまくる。下品なことも、上品な言葉も。一目惚れした女性を呼ぶ時は「お嬢様」、いけ好かない役人は「卵野郎」と呼び、子供のジョズエには「ジョズエ」と真摯に投げ掛ける。彼の言葉は浮かんでは消える泡沫でしかないが、その言葉は「お嬢さん」に届き、「お嬢さん」に一つの決心をさせた。ドイツ人の医者に届けば、「なぞなぞ」が帰ってきて、「ジョズエ」に届いた時は、「ジョズエ」を生かせ、楽しませた。
グイドの存在は収容所内においては稀有な存在だ。なんかいうたら、何かしゃべっているという感じで、その存在感は甚だしい(そら主人公ですし)。ジョズエも「子供」という存在で稀有といえるが、彼はグイドが側にいるときにしか喋らない、父親がいない時は息を潜めて隠れている。他の収容所の人間はどうかというと労働で身を削られ、やつれていて、下を向き、無口だ。バルトロメオはグイドに尋ねられてそれに返すくらいで大抵黙っている。まあ、状況があの状況である以上、それは仕方ないとも言えるし、俺がもしあんな状況に置かれたらまず間違いなく、声を出さないだろう。よくてため息程度だ。いや、ため息なら誰もがしていたような気もするが。
ところで普段、私達がため息をする時「ハア」でも「フウ」でも構わないが、なんにせよ音が生じる。試しに今、単に息を吐いても「フゥー」っと微かにだがホワイトノイズというかは知らんけど何かしら空気のかすれる音は生じる。音は逆進性もなく、記録性もなく、一秒後には消えてしまうが、言葉ならどうか。誰かのため息なんぞは誰の記憶にも残り難いが、言葉であるなら記憶にも残りやすい。グイドがそこらかしこでベラベラと喋っているのを覚えているのも、この「言葉」であるからということがわかる。俺はわかった。
そして彼がその自らのお喋りが収容所内でも変わらなかったのはジョズエという自分の子供がいるからにほかならない。子供の心配する顔を見たくないし、そんな顔させたくないという親心が、彼のアイデンティティを持続させたと考えられる。ジョズエがグイドにとっての自分を保つための心の拠り所だったと、他の収容者と比較すると容易にわかる。
グイドはまあ、そんな感じである意味平常運転だ。平常運転だからこそ、子供を元気付けれる。たとえ嘘であろうと、すぐ見抜かれそうな嘘であろうと、「それはお前が騙されてるんだ」と破れかけた虚飾を新しい嘘で塗り固めて。子供にこれはゲームだという魔法をかけた。いくらでもその嘘が破れそうなときがあったが、父の言葉を信じたことで結果的に、ジョズエは収容所をゲーム、そこでの労働もゲーム、兵士に罰を受けるのは奴らがゲーム内でジャマしているから、というゲームの世界観の中で終戦まで過ごした。一番強烈な魔法は、やはり兵士の説明を全部ゲームの話にすり替えたときのものだと私は思う。子供にとって、ここがどういう場所かよく分かってない、世界観の初期設定という段階で、最後まで通用することになる部分を作ったというところだと思う。
ここまで映画の後半部分で説明したが、やはり前半部分でもグイドの魔法は通用している。ああ、神様アイスクリームを食べるのはいつですか。と神に問いかけたら、なんかおっさんが「7分後」と言ってきたうわやばい怖い。というところ、それ以外でもドーラを「お嬢様」という世界観で包むようにしている。もうなんか意図的に都合いいし、「喜劇」やなあと感じるように仕向けている節もあるが、そうでもしなきゃ後半が喜劇調にならないだろうし、その世界観を魅せるようにグイドが観客にかけた魔法とも読み取る事ができる、そんな風に考えた。とても面白い時間でした。