なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

歴史への視点、脳汁

夜走った。小一時間くらい走って汗だくになって帰り、湯船にお湯をためている間に腕立て伏せをして、風呂にした。やっぱ長風呂いいね。

おととい、昨日、今日はいっしょにして語らないと説明がつかない日々だったわけだが、所詮こんな辺鄙なブログの筆者の、愚にもつかないライフログなんて塵がごとくちっぽけなものなのでここでは略す。要は、宇喜多家と尼子家を調べていると、1550年~1570年の中国地方全体の大名事情を知るようになって、簡潔に説明しようにも「中国地方は複雑怪奇」という言葉で評するほか、今のところ有効な手段はない。というわけで俺の益々の精進にご期待あれ。とりあえず戦国時代ってのは、猟奇的で、狂人的で、そして残酷に、冷静に、自己の保身のため罠を張り巡らし、懐に刃を隠し持つすごく人間臭い時代だったんだと、再確認したことくらいか、まだ理解が浅いわな。

何をどこで見てきたかというと、主には

やる夫が「奸悪無限の武将」宇喜多直家に仕えるようです 第一話「忠家初陣と花房正幸の武勇・宇喜多家中事情」

http://gnusoku.blog41.fc2.com/blog-entry-1225.html

いわゆるAAスレという、AAに喋らせて話を進ませる物語だ。信憑性に欠けると思うだろうが、それでもしっかりとした出典をもとに話を構築しているので、信頼性というところでは歴史小説も同じようなものだ。それに、私自身としては当時の人間の生活、何を思ってどう生きたかとか、あの時はAという大名はBという大名に従属してたが、内心疎ましく思っていたとか、上方と地方の経済の違いとかそういう類いの、側面的に語られるところが好きで、しかもこれは出典や著作者の主観に基づいたものだからもともと客観性に欠けるので、学問的価値となると高いと言えそうにない、だから逆に考える余地があるから好きなのだが。

歴史の教科書に載ってるような「〇〇年に何々が起こった」という単なる知識としての「歴史」も面白いこともなくはないが、それだと事実のインパクトによる面白さとか「そういえば歴史の授業でこんなの習ったじゃん」と、友達と共通知識を出し合う遊び的な面白さの域を出ない。

高校の日本史の先生の「まあ、戦国時代や幕末が好きな生徒は多いけど、当時の人々にとっちゃ年表に書かれてない年のほうがありがたかったのかもねー」と言っていたことを不意に思い出した。歴史の教科書に載るくらいの(つまり義務教育や高等教育を受ける生徒は知っておかなかければならないということを暗に意味している)事件や戦争がなぜ載っているかというと、それは後世に伝える必要が、なんらかの理由が元にあるわけで、逆に年表に載ってない年(にもなんらかの事件や事柄はあっただろうけど、)は後世に伝える必要もそれほどない程度の事件で済んでいたってことなんじゃないだろうかと、当時の私は先生の言葉からそう思った。

要するに俺は織田信長や毛利元就に潰された、歴史の教科書の年表にも載ってない小大名の滅亡話とか、室町時代では外国から輸入された硬貨が室町時代の経済を担っていたとか、和歌を詠む人の苦悩の背景とかそういう「事実」という歴史の側面で働いている心理的要素、社会的要素、人間関係とかなのが好きです、はい。

とここまで書いてわかったけど、突き詰めると俺は物語が好きなんじゃないだろうか。

けっこう話が堂々巡りしているのでさっさと寝ておこう。タイトルはここまで書いて、それから取ったモノだけど、これをメインで書こうと思ってなかったんだよな。とりあえずもっと勉強しよう。

 

ああ!勉強で思い出した。今日の5限の授業は経営学についての英文を読んでいく授業だった。それでやはり地方国立大学生の英語力を駆使しなければならない時点で「お察し」というところなのだけど、やはりゆっくりでも意味を取りつつ、じりじりと読んでいるとアハ体験的な、ドーパミン出まくるというか、脳汁ドバドバという感覚を感じた。2人しかいなかったのだけどもう一人のI君(通称GOD)は11月あたりから英語を本格的に勉強していて、4月過ぎると今の部活をやめて勉強一筋になるそうだ。

勉強一筋はけっこうそんな感じだった自分の高校生活を省みてちょっとダークな気分になったので、やめたほうがいいと思うんだけど彼の場合、部活以外にもいろいろとやってることがあるようで俺の心配など無用な気がする。

ともかくそんな彼に俺は触発されてしまった。学んでいく過程がもともと好きだから、その感覚を数年前のように取り戻していこうと思う。先生のKさんは単語は文章から全体の意味とともに覚えていくと覚えやすいとも言っていたから、それも実践したい。