なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

おたくの父の、オタクの息子の見解のような日記のような雑文

私の両親の家は地方中小都市の少し外れのほうにある。中国地方の奇祭裸祭りの場所に近い。父の両親の家はこれまた限界集落の外れの方にある。4年ほど前のソフトバンクのケータイでは電波が届かなかった。最寄りの駅には車で約20分かかる。

いや、私はこんな田舎話を書きたかったわけじゃない。ど田舎自慢はもっとしかるべき人がするべきだろう。でもなぜこんなことを書こうとしたのかというと、このエントリーを読んだからだ。

地方オタクの歳の取り方と、首都圏の人脈について - シロクマの屑籠

この手の話をするときには、まず『「オタク」をどう定義付けるか問題』が存在すると思う。でもここでは敢えて厳格には定義しない、というかできない。のでひとまず置いておく。あと「マニアとオタクの違い問題」も放っておく。俺の低スペシングルタスク脳ではそこまでできない。

 

私の父は石に詳しい。ひと目地面を見ただけで「この石は〇〇岩。付着している土の色が~~だから□□という物質がうんぬんかんぬん」という具合である。大学での専行が地質分野だったこともあるのかもしれないが、父の本棚を見る限り、独学の部分が多いように思える。映画についても詳しい。だいたい俺が見た映画のことを話していると、「ああ、あの俳優は〇〇の映画にも出てたよ」とか「そういう映画が好きならこんなのもいいと思うよ」と、とにかく引き出しが多い。特に戦争映画はほとんど見ているんじゃないかってくらいに、オススメ映画を教えてくれる。それに付随して軍事面にも明るく、家族で金曜ロードショー見てて何かの武器や戦車が出てきてその名前を聞くと即答してくれる。が、本人は静かに見たいらしく、俺が小さい頃はよく「黙って観ろ」と言われていたが、そのくらい詳しい。音楽はあまり聴かないとは言うが、クラシックは映画でも多用されているから、なにかと知っている。そして本にも詳しい。村上春樹三島由紀夫の本は「なんか雰囲気暗いからあんまり読みたくない」と言って、食わず嫌いしていても一二作品程度は読んでいて、本棚には司馬遼太郎の「坂の上の雲」、池波正太郎の「真田太平記」の他多数の歴史小説が並んでいる。本棚にはないが漱石、鴎外、芥川、太宰、星新一etcの知識もあるので、国文学科出の母との、小説についての会話を聞いているとなかなか面白い。他美術、絵画にも年代の偏りはあるものの、新聞で何かの展覧会が紙面を飾ると、多忙な中での朝食時の数分間の話題はその作家や作品などで染まる。そして父はリアルガンダム世代である。ガンダムシリーズはほぼ網羅している。UCも録画して見たらしい。深夜アニメも昔は見ていたようだ。ただし、萌えアニメはあんまり好きじゃないみたいだ。松本零士が好きで、最近ではヤマト2199を見ていた。まだある、先述の歴史小説もだが、歴史にもある程度の知識がある。日本史だと戦国時代あたり、幕末から大正初期、少し飛んでWW2期。世界史は特に詳しいのがWW2期だが、散在的に三国志、近世近代欧州も知っている。そして毎週の如く週刊少年ジャンプを買い、妹、俺、父という順にNARUTOや他の単行本を回し読みする。そして一人暮らし中で空いた俺の部屋の本棚の漫画すべてを読み終え、新たに買った漫画を追加していき、帰省した俺はそれにやっと気づく。

 

結構端折って書いたはずなのにこの文量。あと万葉集浜村淳のラジオから引いてしゃべったりして母を惚れ直させたりしているが、ここまで読んだ人は私の父がどんな人か察してくれていると思う。

しかし父の自覚としては「一般人」であり「市井の人」として暮らしている。毎年年末に遊ぶ長年の付き合いの友人たちとの会話はもっぱら競馬とパチンコ、与太話、仕事話などのよう。近所づきあいなんかも普通だ。

でも父を除く家族の三人が満場一致で「オタク」という結論を出している。ここまで書いて改めて思うけどなんだこの知の巨人は。だけど父は阪神ファン。そしてここまで書いた趣味の中で俺が唯一把握している家族以外でのオタクコンテンツでの交流が大学の先生との石談義だ。

 

ようやくここまで書いて、冒頭のリンク先の話と「オタクをどう定義付けるか問題」に、触れる事ができる。

私は父の背中を見て育ってきたため、小さい頃はこれが大人だと思っている節があった。一つの石を拾い上げての講釈で周りを困惑させることはさておき、小説、映画、軍事、歴史、美術、音楽、その他もろもろの話が十分できて、「普通の大人」だと認識していたころもあった。でもやはり家族の中では父は「オタク」なのだ。(俺も母妹から「オタク」と思われているみたいだが、父と比べるとヒヨッコ同然だ)

かつて、自分自身とコンテンツだけの1対1の関係、スタンドアロンな存在をこそ「おたく」と呼ぶ時代があった。その時代の、スタンドアロンなおたく達がどのように歳を取り、今、どこで何をしているのかは知らない。

 この引用でいうところの「おたく」が私の父かもしれない。でも「おたく」である父さんによって俺はこういう方面への好奇心の枝を伸ばすようになって、ごく日常的にいっしょに映画見たりアニメ見たり、帰省の度にこんな映画見たでーこんな本読んだでーと話したりできているから、父は「スタンドアロンなおたく」とは言い難い気もする。それに近年、年も取ってお仕事バリバリマンというわけにはいかなくなったと言って、結構家にいる。その時間にWOWOWシネマや録画したアニメとかを消化したり、新書や新刊読んだりして、最近ではTwitterやってたり「iphone買ったでー。イェーイ」と俺のLINEに報告してくるくらいで、あれ?カタカナの「オタク」の方なんじゃね?という具合。

もうこれわかんねえな。

でもこんな年の取り方も悪くないと思う。見てて、楽しそうだから俺も楽しいし。家族内に自分の趣味に共感出来る人がいるということはやっぱり嬉しい。まあ、半ば親父に作られた趣味でもあるわけだけど、自分の本棚に読むものがなくなったから親の本棚から面白そうな本漁る過程を経てできたものを、「作られた趣味」といえるのかわからん。

追記

あと「オタク」にもいろいろありすぎて意味の幅広がりまくりの薄まりまくりで、わけわからん。釣り気狂いはオタクじゃないのか。麻雀漫画大好きな雀鬼はオタクじゃないのか。歩く広辞苑くんは知識量的にはオタクじゃないのか、歩いているからオタクじゃないのか。引きこもっていればオタクなのか。とりあえず深夜アニメ見とけば「オタク」なのか。サブカルチャーに精通しているリア充はオタクじゃないのか。サブカルチャーに精通していないやつでもアニメ見とけばオタクなのか。サブカルチャー全然知らないけど、とりあえずアニメ見た翌日には周りの友人とアニメ談義している人は「オタク」なのか。前は萌えアニメも普通に見てたけど、最近戦争映画ばかり見て歴史シミュレーションゲームばかりプレイしてという生活を続けた結果、ふとTwitter上のTLに例えばラブライブ!や艦これの画像が流れてきたのを見ると精神が若干揺らぐ自分は「かたぎ」だと言えるのか。それとも「おたく」か「オタク」か。そんなことを考えながら書いてる途中で、もうなんでもええわ。となってとりあえず考えるのをやめた。