なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

この世のすべてはこともなしってフレーズはブラックラグーンから知った

8時ごろにふと寝てしまって起きたときには11時5分、映画アリスインワンダーランドの終盤部分をテレビでやっていた。よくわからないストーリーをさらっと眺めてチョコを数らかほおばってこれをだらだら書いている。目標は12時までに締めること。

ブラックラグーンで1巻あたりでダッチが「たつきの道も成り立たねえよ」と言うコマがある。「たつき」というと「生活の手段、生計」という意味だから、今学生やってる俺のたつきはアルバイトというところだ。しかし「たつき」というのにも複数意味があり、一般に知れ渡っているのが「生活の手段、生計」というだけで他にも

「手がかり、手段、方法、よるべ」

「(様子などを知る)手段、見当」

という意味がある。大阪の方便らしい。

 

この程度の知識はインターネッツを使えば簡単にわかることだけど、それをわかったうえでこれを読んでいるに再掲する、敢えて。みんな知っているもんなぁ?(下衆顔)

 

ところで俺は夜の貴重な3時間を無駄にしてしまったわけだ。この時間にアニメを少なくとも6本も見れるし、あるいは現行でプレイしているゲーム数本を進められたし、部屋を整えることもできただろうし、日ごろ読んでる新聞の切り抜きに時間を割くこともできただろう。もちろん本だって余裕で読める。

そんな貴重な3時間を俺は睡眠一本に回してしまった。

なんてこった、俺の生活がこれでは、ただでさえ最近春休みだから気が緩んで(学期中も緩んでいるが)しまっているというのに、こんな体たらくでは情けない!と思ってもいいけど今の俺の考えはそうではない。寝起きだからかもしれんが。

 

そもそも自分の時間を「何か」と等価交換する形で考えていいのか。それってすごく自分の時間に対して不平等じゃないのか?

私は嫌なんですが。

バイトで過ごした1時間と、アニメ見て過ごした1時間を比べると生産性の上では時給何百円のあるバイトの方が上だ。だからアニメ見るのは無駄だし、同じく生産性のないゲームをすることも無駄だ。この考えに反対はしない。しごく真っ当だ。

ただし自分がこの考えで物事を考えるのはけっこう辟易とする。

時間を何かの物事の枠で捉えること自体、自分の時間を「無駄に」へりくださせていると思う。「この時間はこれ、あの時間はあれ」と決めるのは効率化を図る上で必要だ。それは確かにそうだ。だがしかし、それは自分の時間というある種無限の可能性を秘めている、藪からへびどころか龍が出てもおかしくないような時間を一つの物事に限定されていると思わないだろうか。

人間の取り得る選択肢は有限だが、選択する数が一つだけとは決まってないだろ。

誰だよ国語の時間に小説読まずに国語の教科書読めとか言った奴ふざけんな教科書読破した上で小説読んでんだよ文句あっか。おっと、これは余談。

人間の時間は有限だが、その時間がどんな意味持つかは不定で未定で千差万別だ。千差万別だからこそ人は「この時間はこれ」と定めないと、効率的に動けないというか「自分の都合」に合わせられない。だから国語の時間に小説読まずに国語の教科書読めといったやつの都合は「クラス全員が同じ内容を勉強している」という用件で、俺の都合は「国語の教科書読んで理解できたから他の本読もう」という用件だから先生側に不都合が生じて俺は先生に怒られた。

 

話を冒頭に戻そう。私は図らずも3時間を睡眠一本に回してしまった。しかしそれに不満はない。うとうと気持ちよく寝たのだから。自分の失態とも思ってない。私の時間観では別に構わない。時間に変に拘る気もないし、寝たいのならいつまでも眠ってもいいじゃないか。俺の都合に合っているのだから。俺の都合に合っているならそれで構わないってすごく自分勝手な考えだけど、この考えが適用するのは俺が一人で部屋にいる時だけで、他の人に迷惑をかけたわけでもない。他の人に迷惑をかけない程度なら自分の都合で動くのは間違った考えではないじゃないか。

問題は「この時間は誰の、何の都合に合わせるべきか」じゃないだろうか。バイトの時間は「この店の都合に合わせるべき」だし、友達との時間は「友達の都合に合わせるべき」というかこの「合わせる」は妥協的な意味合いが強いけども。他の時間は自由にやらせてくれよ。というのは現代人の誰もが考えることだろう。

 

本当に書きたかったことが10パーセントしか書けてない気がする。とにかく一番言いたかったことは時間は「何か」と等価交換するものじゃないってことだ。アニメ見る時間もバイトする時間も本読む時間も、ついまどろんで寝ちゃう時間も、ゲームだけで16時間過ごしたような時間も、所詮は「なんたら なんたろう(ここに本名)」という俺、またはお前の連綿とした人生の一片だから、それに不満持つってならそこは自分の都合に合うように動くしかないんじゃないのか。と一年前の不満持ってた自分に言ってみる。言った結果が今これだからお察しというか空に向かって唾吐いてるようなもんだが。まあ敢えて一年前の自分に唾吐いてみる。

四畳半神話大系で

「一周わずか数秒の空間であるが、今やこの四畳半は私の脳みそも同然であった」

という文章がある。(311頁)

四畳半神話大系 (角川文庫)

四畳半神話大系 (角川文庫)

この一文を導き出す前には600文字くらいだろうか、四畳半の説明が半頁以上の文量が注ぎ込まれている。その描写は微に入り細を穿つがごとし。

なぜここまで詳細に主人公が説明できるかというとつまりは部屋が「私の脳みそも同然」であったわけでつまりそういうことだ。説明になってなかったけど、物事を詳細に語る際にはその物事の血肉化が必要だと思うとか、その血肉化をお前はできているのかとか、そもそもその血肉化を読書とかゲームとかアニメとかその他趣味諸々に活かせるんじゃないだろうかとか、そんなことが言いたかったのですサーセンフヒヒ。

 

というわけで目標としていた時間を1時間もオーバーしてしまった。ああ、俺はなんてことをしてしまったのだろうとは考えないけど、ちょっと長くなったな。500文字くらいですらっといきたかった。