なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

思うこと、変わらないこと

数日のうちに思ったことを書くから長い長い日記になる。だけど正直、頭の中で話の抜けや漏れ、順番を忘れてしまって実際は短くなるんじゃないか。
 
一生に一度の成人式が済んだ。
一応小学校からの付き合いの友達と駅で待ち合わせしていたら、そのホームで中学のやつらにばったり会えて、そのときからずっとやんややんややってた。例えば、きな粉揚げパン買って、中学のやつらと分け合って食ったり、牛乳を買って当時の一気飲み勝負を再現したり、当時連絡先を交換してなかった友人と連絡先を交換したり、バカ話ばっかりして盛り上がってた。友達の進学先、就職先というか現住所を聞いてると山口から茨城あたりまで網羅できた。高校の友達、大学の友達と合わせるとひょっとすると友達伝いの旅で日本一周できるかもしれないって考えて夢が広がりまくりんぐ。
当時のスポ小のメンバーと再結集できたところでテンションが最高潮まで上がってた。
なんというかみんな、制服がスーツや袴、振袖に変わっているだけで、ちょっと女子は化粧で最初よくわからないけど目の輪郭や、口元、横顔、あと身長が変わりないとかの当時の面影が多少残っているところから思い出せて、俺の卒業した中学校はやっぱり俺の中学校で、3年〇組はやっぱり3年〇組だった。なんかほっとした。時間の隔たりを越えて「当時の相変わらず感」が出ていた気がする。酷い時は週三回窓ガラスが割れるような学校だったわけだけども、みんなあれよりひどくならずあのまま成長していったというかんじから、ほっとしたってこともあるかもしれない。
 
で、そのあと夕方から同窓会があった。とにかく会場が狭い。すし詰め状態になりかけた。なんで一クラス分の教室程度の広さに100人弱突っこめたんや・・・
先生方も数人、あんまり印象になかった教頭もお越しになっていた。名前覚えててくれててほんとうにありがたかった。
同窓会メールがちゃんと行き届いてなかったらしく、友達の中には成人式で同窓会の内容を知った奴もいたから、二年後にあるらしい同窓会にはメール来たらちゃんと回そう。
 
ここからは俺の持論というか一般的な話。
同窓会に参加しない人もかなりいるだろうけど、特に用事がないなら同窓会には来るべきだと思う、やっぱり。
というのも仲良かった友達が成人式に参加して、メールも事前に来て、かつ俺をいっしょに行こうって誘ってくれたのに一週間前にキャンセルして同窓会には来なくて、しかもその断る理由が「めんどかったから」とかいうものだったから、その腹いせにこれを書いてる。
短気なほうだから一発殴ってやろうかとさえ思ったけど何も成人式で喧嘩別れするのもアホくさいから、あきらめて「またな」で終わらせたから頑張った。
てことじゃなくて同窓会に来るべき理由、一つ目は単純に飯と酒があるから。
二つ目は普段大学でもあまり話すこともない「女の子」と話せるから、しかも顔も知ってるから気負うこともない。
三つ目はそんなにきまずくない、というか自分さえそう思わなかったら大抵の人は声かけたらニコってしてくれるから。今までの人生の5分の一の五年間ずっと恨んでたり根に持ってた人なんてそうそういないし、大抵いじめにせよなんにせよやったこととか忘れてる。当時いじめてたやつといじめられてたやつが会うと気まずそうにふるまうのはいじめられてたやつが大方先で、だからいじめられててそれをいまだに覚えてた奴は一旦水に流して、普通に接せば気まずくなることもない。これは経験だけど。あとこれも経験だけど、いじめの話なんて格好の話のネタになり得る。笑いを、人の悪いところを指差して作るくらいなら、自分の悪いところを指差して作るほうが誰にも憎まれないし俺の性分なだけだけど。
四つ目は自分のことを気にしてくれてたり、会えるかな会いたいなと思っている人がいるってことがうれしいから。これは行ってからわかったことだけど十分理由になるでしょ。実際けっこういた。こう思ってくれる人たちは貴重だと本当に思う。すごくありがたかったし、連絡先交換しまくった。電話なんかこないだろうしメールもこないだろうけど、知ってると知らないじゃあ、もう次元が違う。マザーテレサも言ってたように無関心が一番あかんわ相互関係的に。同窓会に来るっていう簡単なことでその人たちの期待に応えれているんだから、全然かまわんわ。さらにいうなら同窓会に出席しないってことは他の人には(来る気なかったのか)と思われて、気にくれたり会いたいと思ってくれる人を失いかねない。
 
まだ理由はあったはずなんだけどここまでしか思い出せない。
だけど、大方想像力を働かせたらわかることばっかりだ。とゆーわけでもっと想像力を働かせてくれよO君。
 
俺は単純に全体主義とかみんないっしょがいいとかそういうことで同窓会に来るべきだとは思ってない。
用事があるならそれを優先させるべきだし、もしつまらなかったら途中で抜けても良いと思う。実際それも考えてたし内輪の少数人数でなんか遊ぶのもありだろうし。
この持論は15歳の頃には論証なしの仮説だったんだけど、この五年間や数日前の成人式で徐々に確証を得て、あのころの一瞬のフラッシュバックでしかなかったふわふわした抽象概念がようやく俺の手の届くところまで下りてきた気がしてる。
というわけで、自分の周りの人間関係はできるだけ繋いでいきたい。顔本やるやつで友達すごく多いやつでもこう考えてる人はいると思う。所詮顔本といえど、されど顔本というかんじで、相手にアクセスするのが電話番号かメールアドレスか手紙かウェブかの違いはあれど、そのアクセスする理由は変わらないだろうから。やっぱ人に会うと自然と笑みがこぼれるもので、そういう笑顔の多い生活を送りたいし、そういった相互関係を保ち続けたい。殺伐としたのはあんまり性に合わないな。
というところで今日は締める。