なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

うんこ

さあ、書こう。
前の日記が94日前とあるので、ずいぶん書いてなかったようだ、本人からすれば今まであっという間の月日だったのに。
と言っても、別に書くのを溜めていたわけじゃなく、ただ単に日記に手をつけることが煩わしかっただけだ。他に自分の考えを吐き出す場所はいくらでもあった。メモ帳でもいいし、エバーノートでも良い。「書く」だけに限れば、けっこうの文量は書いてきたはずだが、ただそれを「日記」と称すか否か、はてなを使うか否かで両方「否」としてきただけだ。
まあそんな状況で「いかにも」な日記のタイトルをつけるなら、

僕がはてなブログから離れていた3つの理由

とか

はてなブログを利用するのをやめてわかったこと

とか

94日間ブログを書かないでわかったこと

とかとか役にも立たなそうなチラ裏タイトルにしても良かったのだが、俺が書くことと言えば寸時の愚考というか、行き当たりばったりな駄文、とっ散らかりの多く、しかも一貫した考えの持った芯の強い人間でもなく書いている内容は長期的に見るとグニャグニャな曲線。言いたいことが一貫してなく、どうせ見返したところで「ああ、書いててヨカッタ」とか思いそうもなく、むしろ中学生の時に書いていたノートを見返した時と同じく見るに耐えないというような云わばだ。ならば。

と考えた上でのタイトルでもなく、「ああタイトルなににすんべ」ととりあえずタイプしたキーがUNKOだっただけだったりする。プログラマーの書くhogeとかpiyoに近い。あれは後に違う文字に変えるようだけど、冒頭の2、3行を書いている際中に考えが変わりもうこのままうんこでいいじゃんと、捻り出してやろうぜと。なお筆者は便秘である。現実はうまくいかない。ちなみに言うと筆者は岡山県民だが、別に糞を溜めているわけではない。日記の糞もだ。

とまあここまで書いたところで、急にタイトルを変えたくなった。なにせ、ひらがなで「うんこ」。投稿ボタンを押せば、一瞬とはいえ新着欄に載るのだ、この三文字が。衆目に晒される。いや、目を汚させてしまうといった方がいいか。おそらく幼児期よりひらがなを覚えてこれまで、数限りなく我々は「う」と「ん」と「こ」の3文字を書き、かつ声に出し、かつ読み、かつ実物を己の体から捻り出してきた。一日に一度はそれを目の当たりにするのだ、むしろ目の当たりにしないものは不健康間違いないバナンかヨーグルト食えそして出せ。と、このように数多く見てきたといったところで我々のうんこへの認識は変わり様もない。「きたない」、「不潔」、「くさい」、「近づきたくない」、「近づけないで」、「やめて」「投げないで」と。やはり我々は嫌悪するのだ、うんこに。ある程度許容できようとも、どこかで一線距離を置いている。ゆえにはてなという場所と言えど、露骨にその文字を見るのは嫌ってのが人情。普通の人間の感覚だ。だからタイトルを変えようと。

そう思った。だが、やめることにした。それでは俺自身がうんこに対して目を背けてしまうということにほかならない。なぜか?俺の日記がうんこだからこそ、筆者である俺自身がうんこに対して不誠実ならば、つまり日記に書いていることが不誠実になってしまう。筆者自身がその日記に対して不誠実になってどうする?うんこを書かない以上、日記に何が残るだろうか。うんこにはその人間の食生活、心理状態、行動の結果が反映されると、たけしの家庭の医学でも言っていた。また、アルファベットを用いてうんこの意味を考えた奴が高校のクラスにいたが、彼は
Unlimited
Naked
Kaleidoscope
Opinion
と英語を当てた。直訳すると「限りなくありのままの絶えず変化する意見」となる。体調の変化、精神変調の兆し、病の予兆、それらすべてを実体に現し、その主に告げる。それがUNKO。そう彼はわかっていた。うんこを。うんこの持ちうる情報を。知っていたのだ、彼は、余すところなく。
少し脱線したが、文章に置き換えるとうんこなくして日記足りえない。うんこがなければ、日記ではない。ただし、日記でなくてもうんこはできるのだ。どのトイレを選ぶかだけにすぎない。

どのトイレを選ぶかという問題はすなわち事後、スッキリするかどうかだ。そもそもうんこを出すためだけならば正直どんなトイレであろうと変わりはない。排泄できればいいのだ。アウトプット、それだけできればいい。だからチラ裏だろうがトイレットペーパーだろうがその芯だろうが風呂の湯気で曇った鏡だろうがメモ帳だろうが書くことができればそれでいい。ではなぜこのトイレを選んだか?スッキリするためだ。満足感、トイレに入って用が終わった後の「ふーっ」と息を吐いて紙を巻き取る刹那の満足感。当事者が急いで駆け入った場合、この満足感に安堵も加わる。勢い紙を巻き取る手にも力が入る。ガラガラと大きな音が鳴る。
いや、その前にウォシュレットを使うか。女性トイレであれば音楽が鳴るのだろう。その音はより満足感を満たすに違いない。間に合ったと、そう実感させる。また男性の場合、うんこでなければ、ただ立ちの方を使うだけ。ウォシュレットのほんのりとしたあたたかみ、かかる温水を与えてくれるのはうんこの時だけ、満足感はウォシュレットによって与えられる。つまり日記をうんこ、はてなブログを便所と捉えれば、満足感を与えてくれるウォシュレットは読者。すなわち、お前らだ。










とここまで書いてスッキリしたのでおーわり。最近福本作品を読んだのでいつのまにやら文章の雰囲気が似てしまった感がある。おそらく脳内で適度に読点を三点リーダとビックリマークに変えれば自然と立木文彦の声が聞こえてくるのではないでしょうか。
マアこんな駄文誰も読みなおそうとはしないと思うけど。
久しぶりに文章をガッと書いたから内容とは裏腹に爽快感を感じるけどその色はおそらく茶色い。内容全部うんこだし。