なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

井戸と蛙とパンクロックとプロレスと俺とお前と大五郎

今回もなかなか楽しい会ができたと思う。その余韻みたいな熱がまだ冷めやらぬ状態でこれを書いていきたい。やっぱり感情とか、気持ちというのは瞬間的なものだから、今、この現在、という状態に近くないと言いたい言葉も掻き消える可能性があるので。

と言っても、会のログ的なものはTumblrに上げてるし、脱線上等主義の、会話があっちこっちに飛ぶような、会の数ある話題をすべて書き連ねるのは厳しいので、こっちではその内容の一つを取り上げる形になるほうがいいでしょう。


というわけでさりげない宣伝
ヤーブロッコ会

まあ、タンブラーで続けるかそれともまた違う、もうちょっとひと目につくところに引っ越すか的な話もしつつ、自宅に帰ってからそもそもヤーブロッコ会という聴いても、え何の会それ?みたいにならない程度に読書と映画を内包した言葉にしたほうがいい気もするみたいな話をツイッタで現在進行形でしている。金玉野郎会もなかなか自虐的でいいんだけれど、もう少しわかりやすいほうがいいかもしれない。


とここまで考えてたけど、なんかちょっと頭痛くて考えるのも辛いので、唐突だけどここから日記的なものへ移る。ちょうど書きたかったところをgくんがうまく説明してくれているし、日記的なところは予めルーズリーフの端に書いているものがあるから、それを書いていこう。
というわけでタイトルを「映画会 題材「ライフイズビューティフル」 雑感兼日記」から変える。

井戸と蛙とパンクロックとプロレスと俺とお前と大五郎

昨日、これを読んだ。
積極的論客を目指す - 自由の糧
勢いがあって、良い。直球勝負って感じがすごく良かった。
それでそういえばと。ふと思い出したことがあった。
「井の中の蛙大海を知らず」という諺を元に、高校の時にあるゲームの二次創作を作ったことがあった。そのゲームに出てくるキャラクターはこの諺をよく出して、俺はこのキャラが好きだった。
まあ、できたものは、ある物事を知っても、それに関連することはいくらでも、幾万とあり、つまり井戸なんて登っても登っても、蛙には大海なんて見れないんじゃないか、ましてや価値観でさえも多様化している現在では、全てを知ることはできないんじゃないか、でも、それでも自分に関連するであろう知識は全て知れるまでこの歩みを止めるわけには行かない、動き続けるしかないという主張を含めた、くっそ稚拙な小説に似た、ミミズの這った文章の塊だった。
そんなクソ生意気なことを考えていても、現実での行動は読書よりゲーム、知識より娯楽を選んでいて、その行動は4,5年経った今でもあんまり変わっていない。いないけど、上のブログを読んだ時は何かしら熱を感じたから、まだそれに反応する化学物質を私の頭は持っているようだ。

という考えがまだ消えてない内、今日これを読んだ。
ココロノコトバ - ココロトココロ

当時のインディーズバンドは"青春パンクブーム"と呼ばれるぐらい暑苦しくてダサくて感情丸出しのバンドが人気でした。

僕にとって"ダサい"って単語は褒め言葉でしかなかった。

そんな暑苦しくてダサくて感情丸出しなバンドの曲の歌詞は、当時、思春期真っただ中の僕に突き刺さった。

お前だけじゃないぞー!みんな苦しいこともあるけど、一緒にがんばろうぜー!

って言われてる気がした。

中学か高校か、15歳か16かの時に何かのCMで流れてた1001のバイオリンを聴いてから、ブルーハーツにドハマりしつつ、NHKでやってたメジャーのOPからロードオブメジャーを知り、「青春パンク」というカテゴリーを知り、ハイスタを知り、銀杏ボーイズを知り、175Rを知り、楽しいことがしたいと、空を見上げて、ロクデナシと言われてリンダリンダ、ソフトクリームを一緒に食べたいだけとのたまいながら、初めてのチュウと叫びながら、深みに急落下していった。そしてセックス・ピストルズを知り、ラモーンズ、クラッシュを知って、ロンドン・コーリングを聴こうとロックンロールレディオを持ってgod save the queenを聞きかじる、教室では一言も喋らない変態が誕生した。周りではアクアタイムズとかいろいろ聴いてたようだが、当の俺はこのザマだったのである意味当然の帰結とも言える。アホでしかないがそれなりに真剣で、真剣だからこそ、「真っ直ぐな言葉」がガンガンと響き、響いた結果、俺からか周りの人からかは覚えてないが、ともかくアホは一人になった。一人になればこそ、逆に響きが増すような具合だった。ゲームは親に差し押さえられてるわ、ケータイは持ってないわで、生命エネルギーの塊のくせに吐き出し口がうまく見つからない、みたいな時期に娯楽が音楽プレーヤーのたった一つしかなかったのも、こうなる遠因だったと今では思う。まあ、そんなパンクを聴きまくっている最中、ふとジャンプの立ち読みに入ったコンビニの有線で流れてた、ELLEGARDENのThe Arutmn Songを聴いてガラッと世界が変わったように、見えて、色々曲折あって今に至るわけだ。が、やはり上述した曲は今聴いても、やはりガンガンクル。パンチが効いてるというよりはキックを食らう感じで、ああなんか中島らもの小説でそんな表現あった気がする。さっきの蛙のくだりと同じく、「熱」をそのころの私は求めていた。


そして、一昨日だったかに読んだこれ↓と
プロレス初心者・井上雄彦が、とんでもなく本質的な「プロレス漫画」を描いてしまった(「リアル」13巻、KAMINOGE24号)。 - 見えない道場本舗
今日読んだリアル13巻と、映画のレスラーが、上記2つと同じ感じで私の中の何かと化学反応が起きて、ガツンと食らった。

レスラー [DVD]

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昔から泣き虫だったので、生得的に何か「熱」があるものを見たりすると涙腺が緩くなるのか、グッと込み上げやすい体質ではあるんで、真正面から迫ってくるような「熱」にやられやすいようだ。
真っ直ぐすぎて、他の目には泥臭く、垢抜けてなく、青臭く見えるかもしれないけれども、グサっと刺さったり、ガンガン響いたり、ガツンと食らったり、ググっと腹の方から上ってくる熱い何かを、喉からではなく腹の底から出した叫びのような何かを私は今も結構好きでいる。こういう話をすると怪訝な顔をする人に「まあ、他の人にはわかってもらえないだろうけど」と捨て台詞を言うクソ生意気な高校生から、こんな大学生ができてしまったので人生何があるかわからない。でもやっぱり「熱」は感じれるし、これからも求めるだろうなぁ。それを感じれなくなってしまったら、その時はその時かもしれないけど、自分の歴史の中での一つの章が終わった、というところかもしれない。できれば長く続けたい。