なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

第n回映画会あとの祭りをこうやって引き延ばす喜び

現在時計は0時を回っている。寝なければ、という思いも強いが、まずこれを片すことを定めてしまった以上、やり遂げなければいけない。普段が中途半端すぎるので、ケジメをつける習慣をつけないとやらなきゃいけないこともやらず、それで終わってしまうことが最悪の事態だから、どうにか小さいことからでも避けようとしている、なう。

映画会の題材は「街の灯」だった。

街の灯 - Wikipedia

主な論点・感想はTumblrヤーブロッコに載せるとして、とりあえず自分の所感、映画会の感想会・まとめを今回みんな忘れていたからそれもテキトウに織り交ぜつつ、早く寝たい。ちょっと酒のんだ反動で頭痛があって今は寝れそうにないから、その待ち時間を戦車World of Tanks — Free Online Gameに乗らずにこのまま書き進めていく。映画会で言い忘れてた、今新たに思いついたことを書き足しtake。

・盲目の女性の(1930年代での)社会的立ち位置

映画の中ではその女性がお花を売っていたけど、なぜお花を売っているのか。売らざるを得ない状況なのか。近代化している社会において花を買うところは花屋なわけだけど、彼女が売っている花はどこから仕入れているのか。花屋からか?まさか野原なわけはないと思うけど。ちょっと当時の社会情勢的な話はまだそこまで通じてないからなんとも言えない。なぜお花を売っているか、というのは単純にそれぐらいしか「たつきの道」がないことを暗に表していると言えるのかも。まあ、彼女は目が見えてから(職業選択の幅は広がっているのに)フラワーショップを開店するくらいになっているから、単純に考えて「お花が好きだから」という理由かもしれない。あるいは盲目時代に花屋から仕入れていたコネを使って云々というサクセスストーリーをぼんやり考える。考えた。けど実際は脚本を考えたチャップリンの脳内にでも聞いてみないとわからないからこのくらいでこれは止めとこう。

 

・主人公の浮浪者と紳士の二面性云々

これは二面性というか正確には「浮浪者」という社会的ステータスと「紳士」という内面的スタンスが介在している状態といったところか。主人公の行動は「紳士」的だ。人に会うととりあえず帽子を外して会釈。男性女性に優しく、そして助ける。人をバカにする態度には敏感。例外的なところは富豪の酒の席での頼み事を鵜呑みにして行動したり、酒の席で金を頼んでしまうところだけど、これはある種の純粋な動機から来る行動と俺には見える。結果として〇〇を助ける、という目標が達成できれば、その手段として糞を拾う作業にも従事するし、ボクシングだってする。その望みが絶たれた絶望的な状況で富豪と運良く(都合よく)また会ったから、お金を頼むしかなかった。

選択肢がひとつしかなかった人間の取った行動には個人的に弱いので(高瀬舟の庄兵衛しかり)、如何せんこういう見方をしてしまう傾向にある。

 

・ラストシーンの男子が見た場合の感想と、女子が見た場合の感想について

この映画会に呼べそうな女性がちょうど交友関係内にいない(=コミュ症)から、どうしても高校の頃に授業でこれを見ていたMizoの伝聞にはなるんだけど、女性は「なんだかんだ言ってもやっぱり顔」派のようで、男子陣は主人公に感情移入できていたら「二人はこのあと幸せになった展開希望」派のようだった。でもこれって高校時分に見た感想は、高校生の生活環境要素に寄って左右されるものじゃないかと今思ってる。どうしても人間は今までの人生、生活の中で連綿と継続されてきた習慣、家族、生活態度、交友関係、社交態度によってどういうスタンスを取るか変わってくるんじゃないかなと。

(超個人的に「コンテクスト」という言葉が好きなせいでこんな考え方してる。)

だから、大学生が見た時の感想、社会人が見た時の感想も性別で色々変わってくると思う。世界がみんな高校生しかいない世界なら、「男子高校生には人気ある」映画でしかないかもだけど、この世界でなんだかんだ言っても「名作」と挙げられるにはやっぱり男女両方の支持がないと「名作」たりえないんじゃないか。まあ、そこまで女子高校生のことに言及する気はない(から、彼女たちは彼女たちなりの世界観の中で、理想の男性像を抱きしめながら、現実との差異で悶え苦しんで欲しい。それが思春期だと思う。)ここで女子高生は所謂理想が高めの女性のことです。とはいっても誰が読んでるかわからないからあんまり書かない。現在華の女子高生で、とある外国人グループにうつつを抜かしている妹がいる、とある兄の立場としてはたぶんこういう過程が通過儀礼なものかもしれないなぁ、とぼんやぁり観察してるだけで十分かと思っている。という余談。

理想と現実の差異を絶望的に抱きしめた人、精神的に成熟したというか目の色が薄汚れてしまった人が見るとやっぱり「幸せに終わって欲しい」と思ってしまうんじゃないのだろうか?だから「名作」といえる映画なんじゃないか?と気持ち悪いほど童貞の僕は深夜1時30分に考えるのであった。これもう童貞文学じゃな。文句あっか。

 

とりあえず書くことは書いた気がする。いつものメモ帳に書いていることは他はこれからどういう作品を見ていくかとか。美術の方にも手を出して近代絵画位は通していこうとか。貨幣論読んでみようかとか。とりあえずたまゆら2期見てアグレッシブ度上げとくのが最優先事項ってところか。酒飲めないのに酒飲んだわけだけど、けっこう会話を自分からしていって意識を会話の内容へ向けるようにすると、なんとか峠は超えれたことが今日の意外なことだった。

とりあえず寝るか、書き始めてからざっと一時間かかった。