なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

とあるゲーム狂いのどうでもいい独り言的な妄言

なんで今回こんなタイトルかというとこれを見たから。

 

ソーシャルゲームよりゲーセンのほうが「高コスト」問題 - シロクマの屑籠

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/touch/20130303/p1

 

俺が日頃思っていたもやもやがうまく言語化できてて、すごくためになった。

 

というわけで触発されて自分のもやもやを言語化できそうなので書くだけ書く。

内容は同じニュアンスにはなるかもしれんが。

人それぞれなのは大前提として、ゲームやる人には「ゲームが好きでやる」と「ゲームの楽しさが好きでやる」の2種類の動機があると思う。ただ両者とも基本的にゲームを楽しんでやる点が共通してる。

前者は思いっきりゲームやゲーム製作者に対して受け身で、ほぼ受け身でしかない。時には理不尽な仕様にも従う。ゲームを受け入れるというか、どんなものが飛んでこようが、どんな落とし穴があろうがそれを受け入れる姿勢でゲームやっている。凄いタイムロスが生じたとしてもそれにめげずにゲームし続ける。気に入った続作品ならシリーズを買い続けてプレイする。楽しい時もあれば、やってて苦しい時もある。でもやめない。精神が持つまで作業し続ける。苦行を続ける。気が付けばなんとかやってるということが多い気がする。だからクソゲーも良ゲーも関係なくプレイする。そしてプレイ時間が肥大する。「真剣にゲームをやってるんだ」という発言をしてしまう。

 

後者は「そのゲームが面白いからやる」「ストーリーが良いと聞いたからやる」と基本的に理由がある。なんらかの理由があってやっている。その理由にゲームが反するとそのゲームは「クソゲー」になる。読み込みが遅い、操作がもっさり、CGきれいだけどそれだけ、全体的にクソ、などなど。だから、ゲームをプレイするのに自分にとって都合の良い(ゲーム内での)理由が必要になる。つまり自分の琴線に触れるゲーム、都合の良いゲームしかしない。そういう理由だと一番キーになるのが瞬時の射幸感だと思う。自分が感じたいときに、すぐにプレイできてなおかつ瞬時に自分の閾値を超える射幸感を得れるゲームをやるようになる。物事と物事のスキマ時間に、ケータイでできるゲームをやるのもそういう理由だと思う。

 

基本的に人々はこの二つの理由がごっちゃになってゲームをやっていると思う。俺は後者の動機でゲームを選ぶこともあるけど、前者の動機でゲームをやることが多い。人間的、人道的にどうかと思うが最低限度の生活さえ送れていれば構わん。だから、シリーズによって打球の弾道が変わるパワ〇ケも1~7まで、ヒットになるように打ち分けつつ選手を作って試合をした。(7以降はDSを持ってないので買ってない。)

大戦略1941とかいう戦略ゲームで攻略本なしでバトルオブブリテンクリアした思い出しか思い出せない時期もある。いや、本当にそんなわけないけど、そのくらい印象の強い思い出で、他の思い出が霞むというか。ユニット配置、移動、補給、占領、といった諸々の最適化の方法を考える方がほかの生活活動よりも重要だった時期もあったというか。

ドラゴンボールスパーキングも、戦国無双2も、浴びるようにプレイして今もたまにプレイする。サイレンは…まだクリアできてないけど一ステージずつクリアしていってる。

格闘ゲームで基本となる波動拳昇竜拳コマンドをちゃんと実戦でここぞというときにちゃんと入力できるようになるのに数時間かかって、ブレイブルーでコンボ決めようとするにはそれの何十倍の時間がかかった。コンボを完全に習得するまでは本当に苦行だった。でも時に思いがけないほどあっけなくいくこともある。友人が格闘ゲームサークルを作ったとき、それに協力したのも友人が俺と同じ動機でゲームやってたからだ。

 

だからなんだと言うのだという話だけれど、俺が言いたいのはゲームは瞬時の射幸感のためだけじゃないってことだ。これも他人が聞いたら結局何だというのだと言われるのが落ちだとは思うが、いいじゃん俺の日記に自由に書いてるんだし。

 

とはいえこんなこと書いてしまうのは「俺は少なくともこのゲームにおいては俺よりプレイ時間が少ないやつよりも多くを知っている。」という傲慢的な矜持からなのかもしれない。

でもゲームってそういうもんじゃないか?

例えば対戦ゲームだと、波動拳を知らない奴と戦って、こっちが波動拳打ちまくって勝ったとしたら、それは相手が波動拳の出し方や回避の仕方知らないから負けただけで、こっちには何の非もないだろ常識的に考えて。相手は「レベルを合わせろ」とか「空気読め」とか「チート使ってんじゃねえ」とか思うだろうが、勝った側にしてみれば「何様だ貴様、限られた範囲の中で限りある、数ある選択肢の中で最適解を選べなかったお前が悪いだろ」というところだ。こんな考えは傲慢だとは思うけど。

 

ここまで書いてもモヤモヤは以前もやもやしたままで消化したどころか少し膨らんだくらい。まあ書くだけのことは書けた気がするのでちょっとサイレンしてくる。