なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

別に何も変化しなくても、いいやんけ

昨日は10時に起きた後、なんとなく映画を3本見た。ゴールデンスランバーシーサイドモーテルと戦う幌馬車。前2本は邦画で、もう一本はウエスタン映画。感想は別に人に語ることじゃあないだろう。見ようと思えば何回でも見れるし。オレ チンモク アイス。面倒だからとかじゃない。戦う幌馬車について言うなら、エンターテイメント映画というくらいだ、終わり。

 

18時から高松のシンボルタワーで映画を無料で見れるのでそれに友達と行く。5階のメディアスペースはなかなかの充実っぷりで驚いた。これからは極力利用できるときは利用したい。ベアードパパのシュークリームを食ったり、パスポート発行所に訪れてみたり、ロボット動かしてみたり、キネクトで遊んだりして時間を潰した。

「呼吸」という映画だった。監督はカール・マルコヴィックス、主人公はトーマス・シューベルトhttp://en.wikipedia.org/wiki/Breathing_(film))と、聞きなれない名前だったが、俺自体そんなに映画見てないので知識のなさというべきか。

観賞からいや、鑑賞から(どっちがこの場合はいいのかわからないが)、6時間くらい経ってみるとそんなに内容は覚えてない。曖昧になりかけているからこそ、ここに記しておく。

施設で育ち、14歳で刑務所に入った主人公は19歳の秋(冬か?若干初冬ぽかった)に、求人広告から死体運びの仕事を選ぶ。

この映画を観て、というか死体運びというので思い出したのは、「エンジェルフライト」とかいう本だった。それを取り挙げたTV番組だったかもしれない。

エンジェルフライト 国際霊柩送還士

エンジェルフライト 国際霊柩送還士

まあ、この本の内容的なところもあったと思う。

映画にはいろいろな死体が出てきた。きれいに整われた死体、腐臭が漂う死体、裸の女性の死体、交通事故の死体などなど。「エンジェルフライト」でも同じく。

死体は沈黙で語る、という文章をどこかで見た気がするが、死体運びのところはいつもそんなかんじだった。虚無が周りを包んでいるという表現であってるかわからんけど、やるせなさがあった。死体の足に本人の名前の札が何かで刺されて貼られていたり、なんか無機質さ、物体ぽさを感じるところがあった。

主人公は最初は慄きつつも死体運びに慣れていく。主人公が車を出すシーンが個人的によかった。ネクタイの締め方のところもなんというか、よくわからないけどよかった、強いてちゃんと表現するなら素っ気なくも優しさがあったというところか。あのシーンはなんか好きだ。

主人公は自分と同じ苗字を持った女性の死体を見る。母親かと動揺して、父に電話したり、水泳中に呼吸が危うくなる。

それから彼の母親探し。

それからいろいろあって(ややこしくなるから略)

母親と主人公と父親と父親の再婚相手?の幼女の車のシーン。

幼女が三人の関係を聞いてるのが幼女独特ぽい質問とかそういうところで面白かった。電話のシーンもいいな。幼女「お父さんが、女の人を送っていくんだって」

そのあと、主人公は母親の部屋に買った物を置くのを手伝う。そこで質問する「なぜ捨てたのか」と。母親は「それが最良の選択だったから」と。

それから少し経ち、駅で二人は話し合う。

泣き声がうるさくて、枕で顔を覆って、殺しかけたと母親は彼に言った。そのあと施設に預けたと。

そのあと、彼は仮釈放がかかった審問に裁判所へ行く。部屋から出てきたとき、父親は主人公の肩をバサッと抱いて歩いて行ったが、結果はどうなのかちょっと判別しづらい。仮釈放された喜びからのバサッなのか、結果が悪かったことへの慰めからのバサッなのか。第一父親が主人公の心情をあんまり理解していない感じなので、そのせいでどちらかわからないというところか。まあ、俺がそう感じてるだけで大方仮釈放されてると思うが。どっちかわからんくらいのほうが個人的に好きだけども。

最後、主人公は墓を訪れる。

花も添えず、ただ眺めていただけで、しばらくして彼は墓を離れ、慰霊車に戻って仕事に戻る。そしてスタッフロールが流れる。

なんというか、最近多用しすぎてる感もあるんだけど、どっと来る読後感を感じるような、小説みたいな映画だった。ちょうどこのくらいの映画が好きなのかもしれない。ずっと低空飛行な感じが、何とも言えないけどちょうどよかった。