なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

地面でひっくり返ってもがいてるセミ

を、子供の頃よくサンダルで踏み潰してガハハと笑っていた。今でも見かけると革靴だろうがなんだろうが踏み潰そうとしてるのでどうやら精神年齢はさほど変わってないらしい。踏まなくても羽根だけむしってガハハと笑うだろう。人目がなければの話だが、人目がなくてもやる時点で、もう貯水タンクの上で寝ていた方が世の中のためになりそうだガハハ。

幼少の記憶もまま覚えているというのに、昨日友人と飲みに行ったことはどこまで覚えていられるだろう。来週には仕事が前頭葉の皺が伸びきるほどに頭の隅までいっぱいになっていそうな気もする。だとしてもセミ見つけたら踏み潰してガハハと笑えればそれでいい。セミ踏んで汚れた革靴を毎日愛でるように磨いていたらそれもセミへの供養みたいなもんだアーメン。ましてやお盆よ、あにはからんやタバコが線香代わりだガハハのハ。その辺の田舎道で車に踏み潰されて干からびたカエルの冥福もついでに祈ってもう一本。次の先約はテニスコートでラケットぶん回してたら粉々に砕けたトンボさんなので、ポカリを水槽に入れたら死んでた金魚さんはもう少し待ってほしい。この世がゾンビ化しないのは喫煙者が図らずも供養してるからなんだ。今減ってきてるけど、それは長生きする人間も動物も増えたからだろう。1日1mg二箱三箱をルーチンとしてるおっさんが支えているのは経済社会だけではないことは、タバコの灯火を絶やさない学会では著名な説だと聞く。需要と供給の一致。神の見えざる手。その神の名は何だ。なんだっていい。咥えたそれぞれのタバコの銘柄がそれっぽくていいだろう。俺が幼稚園の頃よく遊んだ、目が見えない犬の供養もタバコ吸い始めてたら知らないうちにやっていたんだおそらく。名前なんか忘れてしまったし、ガハハって感じだ。
脳内和訳が追いつかない洋楽をそのまま何度も聴いてるうちに大体こういうこと言ってるんだろうなって思ったことを、歌詞カードで確かめる手前で生活するのが楽だ。
そのツケは俺がひっくり返った時にやってくるんだろう。それでも仰向けにタバコは吸えるんだなぁ(みつお

就職してから4カ月目の新人がこれまでのことを私小説風に書く。

単なるラッキーストライク

暑いけどクーラー入れると電気代かかるからって、裸でたまに風呂に入りながら1日水5リットル飲みつつゲームずっとしてて栄養失調になったのももう一年前くらいになる、8月だ。
トイレに行きたい。
あれからかれこれ萬のことも漫ろに、三月卒業し四月就職して、もう4ヶ月目になる。
遠くで踏切の鳴る音がする。
振り返ることもなくもないが振り返るには忘れすぎた。GWに金沢に行ったことも、と書こうと思ったが書いていると案外何かしらあったなと思い出してきた。忘れっぽいが思い出しやすいものかもしれない。そういや突拍子もない夢を思いつきで語り合ったりもしたこともあった。
新しいタバコに短くなったタバコの火種で火を点ける。トイレに行きたい。
組織内で一番仕事量の多いサビ残当たり前文化の地区に新人研修も漫ろに投げ出されて、定時とはなんだったのかと疑問もさっと消えていくほどにサビ残、机に向かいて言語感覚が衰えてきたことを実感しつつテンプレートの書類を新しい年月日と数字と記号、定型句で埋めていく。
それまで知らなかったことも大いに知ったが、大学時代からあったものも多く失った気もする。ただ相変わらず日常のテンションは低いままだ。
汗を吸ったシャツが臭う。
働きだしてからいろいろ考えることもあったがこうやって文章にしてるのはこれが最初で、それまでは池沼的に単語でしかメモが残ってない。しかしそのメモも仕事やってる中でどっかいっちまった。大半の人間は俺と同じもんかと思う一方、俺が池沼すぎるのではと疑問符が右手を彷徨っている。
吸ってる銘柄同様たまたま放った球が人事のキャッチャーミットに吸い込まれていったにすぎない。狙って入れる技量もない人間だからこそテキトーな願掛けに及び腰で無意識に頼ってたのかもしれない。そうでもないかもしれないが、過去の自分が何考えてたかわかるようなメモも残してない杜撰さで、なんとかなるだろう的な3月頃の観測は見事に見誤ってしまった。
詰まる所事務方の業務が苦手。慣れてきたのは失敗すること。
楽しく書こうと思っていたが自分が楽しいだけで読み手はどうだ。弁当だけしか入らない通勤鞄をググる誰ともしれない電話音が鳴り響く。
かといって苦手な仕事ばかりかというとそうでもなく、大学時代に培った場当たり的進行手法で運営的なものは割と気楽だ。まあどうせ誰も掛かる失敗のリスクから手を上げにくいからこそ、逆説的にハードルが低く、背負うものもないもないド新人だからこそ大きく出れるものかもしれない。環境をそんな感じでしかうまく利用できないのが、詰みつつある感じだ。給料も同じ新人の平均から見たらベラボーに低いし。
場当たり的に就職でき、場当たり的にはうまくこなせるが連環の理に計画的に殺される、まさに場当たり人間の生涯と言える。
ともかく事務は慣れても慣れそうにない。当たり前のことが当たり前にできずに成長した子供が、多少当たり前のことが当たり前にできなくても許される大学で羽伸ばしたまま社会に出て
かけがえがあるので惨めに失敗を繰り返すどうやら今日はいつも以上はるかにテンションが低い。
タバコ吸ってるせいか深呼吸しても肺活量が足りない気がする。
精神のモラトリアム第二ステージ真っ只中飯食ったら書く気も起きなくなったしどう締めるかもどうでもよくなったのでおしり

百点とったら百万円

「百点とったら百万円!」

「百点とったら百万円!」

「百点とったら百万円!」

「百点とったら百万円!」


筋肉少女帯の「戦え何を人生を」をもじったBGMをバックに、坊さんが木魚ポクポクしながら「百点取ったら百万円」と歌ってる、学習塾のCM








少女と少年が話している。
少女の手にはプリキュアとかなんかのフィギュア、少年の手には3DSとかゲーム機とか、
2人の背景に大きなテレビでアニメが流れてて、楽しそうな雰囲気が10秒ほど流れる。
場面が変わって、時間が飛んで女性と男性に。驚く両者。気がつけば両者とも手にはスマホ。写っている画面はインスタグラムとかどっかのまとめサイトとか。
そこにさっきの少女と少年がさっきの物持ったまま歩いてくる。


それを見て
男性が言う。「あのころから変わんないな」
女性が言う。「どうかしら」
手のスマホのインスタグラムに来た少女の写真を撮って載せながら女性が言う。
「感傷に浸るスピードよりも速く、次の岸にたどり着いてるだけって気がするの」
女性去る。

ナレーション「いま、それ見てる場合ですか。」公共広告機構 AC

ってCM見てる子供が最後に出てくる、ACのCM

されど踊りはつづく

「えー、というわけで突然マイクを渡されたわけですが、言うことはまだ考えてません」
こんな都合のいい枕詞をとっさに言えるY先生を僕は尊敬する。

「こんにちは!さようなら!」
こんなイカした挨拶を壇上でいいのけた恩師を僕は尊敬する。

K先生の真似をしたM氏の真似をしたK先生を僕はめちゃくちゃ笑う。

どうやら僕は大学を卒業する。
卒業通知が来るのも待たないまま下宿を引き払うため掃除をしてる。
これで卒業できなければ、とっても滑稽で「アホ」から「ただのアホ」にレベルアップできる。
でも在学中にクソアホまで至らなかったことが心残りでもある。

今日は気分がいい。
それは部屋が幾分綺麗になったのと「落下の王国」という映画を見たからに他ならない。
飲めない酒を飲んで考えてると必ず最後にバッド・トリップするからこんなことはこんな時にしか書けられないし、次にいつ来るかもわからない
それでも今日は気分がいい。


ただ一度の (ドイツ映画「会議は踊る」より) 高橋晴行 - YouTube

「ただ一度の」という曲は一年前くらいに知った。だからと言って別に今は関係ない。
会議は踊る」という映画は見てないし、見る気もついぞ起きなかった。
タイトルも覚えてなくて「されど踊りはつづく」ってタイトルだと勘違いしてずっと検索にかからなかった。

「されど踊りはつづく」って感じで過ごした幾月かが過ぎた。
去年の3月くらいから考え、5月頃から開始したただの一度の大学最後の一年を藪からスティックにスイングドな月日が過ぎようとしている。
空白期間も僕は踊っていた。舞台から舞台袖へ。舞台裏でも踊りは続く。


にしてもネトゲにハマり込んで点滴を受け回復した頃からピークが過ぎ、止め時を探していた時が宙ぶらりんなままだ。

時間を咀嚼する時間は、少なくとも今ぐらいしかないとこれを書いている。
でないと次また誰かにあった時に溢れていくだろう。


「人生生きてるだけで百点満点」

助産師からじゃないどこかで知ったこの言葉
今でも前でもあまり良いようには思えないが
久しぶりに会う友達に似たようなこと言って「また会おう」って
互いのHDDを壊す約束を数々取り付けた
互いに詳しい住所は知らないまま
多少のスルーと多少の心配と多少の楽観と、「骨は拾ってやる」と「とにかく生きろ」と、「あ」と「うん」みたいな意思疎通と、付かずに離れて腐ったできそこないと、若干1メートル離れるくらいの互いの距離感と、それを互いに調整して調整外れる間抜けさと、数日既読スルーが共通認識ののLINEと更新頻度の低いFacebookと数ヶ月漬け置きのTwitterと、孤独死素人童貞と童帝と、多少の不安と少量の希望と「なんとかなるさ」と、焦りと見栄と、怠惰と怠惰と、田舎と都会と田舎と田舎と配属未定と、飲むと吐く焼酎と「コップ」と間違われるマグカップと、お茶漬けとケーキと、芸術性の高い映画とジェッキーチェンのプロジェクトAと、時間オーバーする発表ととりとめのない結論と、それを聞く暇そうな3年生と喉元過ぎた反省と、「最初で最後」と「最後の最後」と、スカイプのオフラインとグループ通話と、銃と病原菌と鉄とオークションと、取引コストと社会史と、処刑人2と橋本愛と、戦車と戦車と戦車と、戦車と戦車と戦車とゾンビ映画ゾンビ映画ゾンビ映画と、汚いユニットバスと脱糞と、ソビエトロシアでは、踊りがあなたを続かせる!ととにもかくにも踊りは続かせるべきであると考える次第であると、中島らもとフォーリングダウンと町田康と、常識と非常識とグレーゾーンと、数多の精神病と狂気と、返されるつもりのない貸し本と未だ返してない図書館の本ととうに過ぎた返却期限と、頭の中がカユいんだと頭髪の間にできたかさぶたと、蓋をなくしたカレー缶の灰皿とラッキーストライクと火星からベットの下に降り立ったジッポ・ライターと、3月と4月と5月と6月7月8月9月10月11月と12月と1月と2月と2月28日と3月1日とその一週間前あたりと、「書くこともなくなってきた」とされど踊りはつづく