なんだろう、俺の発見伝

タイトルは友人の案。

されど踊りはつづく

「えー、というわけで突然マイクを渡されたわけですが、言うことはまだ考えてません」
こんな都合のいい枕詞をとっさに言えるY先生を僕は尊敬する。

「こんにちは!さようなら!」
こんなイカした挨拶を壇上でいいのけた恩師を僕は尊敬する。

K先生の真似をしたM氏の真似をしたK先生を僕はめちゃくちゃ笑う。

どうやら僕は大学を卒業する。
卒業通知が来るのも待たないまま下宿を引き払うため掃除をしてる。
これで卒業できなければ、とっても滑稽で「アホ」から「ただのアホ」にレベルアップできる。
でも在学中にクソアホまで至らなかったことが心残りでもある。

今日は気分がいい。
それは部屋が幾分綺麗になったのと「落下の王国」という映画を見たからに他ならない。
飲めない酒を飲んで考えてると必ず最後にバッド・トリップするからこんなことはこんな時にしか書けられないし、次にいつ来るかもわからない
それでも今日は気分がいい。


ただ一度の (ドイツ映画「会議は踊る」より) 高橋晴行 - YouTube

「ただ一度の」という曲は一年前くらいに知った。だからと言って別に今は関係ない。
会議は踊る」という映画は見てないし、見る気もついぞ起きなかった。
タイトルも覚えてなくて「されど踊りはつづく」ってタイトルだと勘違いしてずっと検索にかからなかった。

「されど踊りはつづく」って感じで過ごした幾月かが過ぎた。
去年の3月くらいから考え、5月頃から開始したただの一度の大学最後の一年を藪からスティックにスイングドな月日が過ぎようとしている。
空白期間も僕は踊っていた。舞台から舞台袖へ。舞台裏でも踊りは続く。


にしてもネトゲにハマり込んで点滴を受け回復した頃からピークが過ぎ、止め時を探していた時が宙ぶらりんなままだ。

時間を咀嚼する時間は、少なくとも今ぐらいしかないとこれを書いている。
でないと次また誰かにあった時に溢れていくだろう。


「人生生きてるだけで百点満点」

助産師からじゃないどこかで知ったこの言葉
今でも前でもあまり良いようには思えないが
久しぶりに会う友達に似たようなこと言って「また会おう」って
互いのHDDを壊す約束を数々取り付けた
互いに詳しい住所は知らないまま
多少のスルーと多少の心配と多少の楽観と、「骨は拾ってやる」と「とにかく生きろ」と、「あ」と「うん」みたいな意思疎通と、付かずに離れて腐ったできそこないと、若干1メートル離れるくらいの互いの距離感と、それを互いに調整して調整外れる間抜けさと、数日既読スルーが共通認識ののLINEと更新頻度の低いFacebookと数ヶ月漬け置きのTwitterと、孤独死素人童貞と童帝と、多少の不安と少量の希望と「なんとかなるさ」と、焦りと見栄と、怠惰と怠惰と、田舎と都会と田舎と田舎と配属未定と、飲むと吐く焼酎と「コップ」と間違われるマグカップと、お茶漬けとケーキと、芸術性の高い映画とジェッキーチェンのプロジェクトAと、時間オーバーする発表ととりとめのない結論と、それを聞く暇そうな3年生と喉元過ぎた反省と、「最初で最後」と「最後の最後」と、スカイプのオフラインとグループ通話と、銃と病原菌と鉄とオークションと、取引コストと社会史と、処刑人2と橋本愛と、戦車と戦車と戦車と、戦車と戦車と戦車とゾンビ映画ゾンビ映画ゾンビ映画と、汚いユニットバスと脱糞と、ソビエトロシアでは、踊りがあなたを続かせる!ととにもかくにも踊りは続かせるべきであると考える次第であると、中島らもとフォーリングダウンと町田康と、常識と非常識とグレーゾーンと、数多の精神病と狂気と、返されるつもりのない貸し本と未だ返してない図書館の本ととうに過ぎた返却期限と、頭の中がカユいんだと頭髪の間にできたかさぶたと、蓋をなくしたカレー缶の灰皿とラッキーストライクと火星からベットの下に降り立ったジッポ・ライターと、3月と4月と5月と6月7月8月9月10月11月と12月と1月と2月と2月28日と3月1日とその一週間前あたりと、「書くこともなくなってきた」とされど踊りはつづく